ブログをはじめました/幸せの大きさ
どうも、ゆらりです。
最近思うところがあって、備忘録という形ではありますが、またブログを書いていこうと思います。
最近放置していた東方原作に再びチャレンジしています。東方の二次創作をしていながらも、妖々夢以外はノーマルノーコンクリアができていない状況にあるのが情けないところです。
どのくらい下手なのかを例えるならば、今やっている紅魔郷で言うなれば、1面中ボスのルーミアに張り付きして避けきれずにピチュるくらいには下手です。
最低限でもノーマルクリアくらいはしておきたいのですが、どうにも向き不向きというものがあるようです。萃夢想ですらイージークリアが関の山。決めボムしようとして抱え落ちするのがなんとも悔しいところ。
最初こそ「よし! 今日こそは咲夜さんを倒すぞ!」と意気込むものの、だんだんとリトライ回数が増えていくにつれて、だんだんと素直に楽しめなくなってくるのです。最終的にはまるで作業ゲーのようなプレイングで、傍から見たら何が楽しいのやらさっぱりです。
どうしてこうなってしまうのか、ゲームを楽しめないのかを考えたところ、どうにも追い求めている幸せの大きさが、自分に合っていないように感じるのです。
幸せには大きさがあります。
今プレイしている東方紅魔郷を例に挙げると、大きな幸せとは「ノーコンクリアできた」「EXクリアできた」「ルナティックがクリアできた」といったものが挙げられます。
逆に小さな幸せとは「ちゃんと決めボムができた」「苦手だった弾幕を抜けられた」「抱え落ちしなかった」など。
ゲームが上手い人や実力のある人は、おそらくですが大きな幸せを目標にしているのだと思います。小さな幸せなんぞはできて当然で、それよりも先の大きな幸せ、すなわちゲームをクリアするというところに向かって進んでいくのです。
しかしながら、自分のようなゲームが下手な人が大きな幸せを追い求めると、それがなかなか達成されず、かえって不幸になってしまうのだと考えます。自分の今の実力では到底クリアできそうもないのに、変に希望を持ってしまう。なかなか大きな幸せにはたどり着けず、不満やヘイトが溜まっていってしまう。これでは楽しいものも楽しめません。
もちろん、下手なのに大きな幸せを追い求めることを否定はしません。それが原動力になって上達することもあります。ここに述べているのは、あくまで僕個人におけるスタンスです。
しかしながら、最初にもらったLv.5のポケモンでいきなりチャンピオンを倒そうとする人は稀だと思います。草むらから出てきた野生のポケモンやトレーナー、ジムリーダーを順序立てて倒して経験値を稼ぎ、十分戦えるレベルになってから初めて「チャンピオンを倒す」という目標が現実味を帯びてくるのです。
必要なのは「自分がどのくらいのレベルなのか」を知ることにあります。まずは身の丈に合った、それでいてクリアするのがちょっと難しいかもしれない、でもクリアできないほどではない目標を立てることが必要なのです。
少し苦戦しながらも課題を踏破し、報酬として小さな幸せを得る。この小さな幸せを原動力に、次の小さな幸せを得ようと努力する。これを繰り返すことで、最終的には中くらい、大きな幸せを得られるようになるのです。
大きな幸せを得たい気持ちはとても理解できます。僕自身がそうであるように、幸せになるのなら大きい方がいいと考えるのは普通のことです。
大きな幸せを得るために、まずは小さな目標、小さな幸せを求めること。急がば回れとはよく言ったもので、焦ったところでなにも進みませんし、なによりも楽しくない。
楽しく生きていきたいものですね。
(編集後記)
ゲームでもそうですが、日々の日常でも小さな幸せを求めていきたいものです。
大きな幸せを求めていると「今日はこれができなかったから、だめな一日だった」という負の考えに結びついてしまいます。
小さな幸せを求めることで「今日はこれができたから、いい一日だった」という正の方向に持っていけるわけです。ポジティブ。
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