ワークライフバランスも大切だけど…

どうも、ゆらりです。


不肖ながら学生の身分であり、趣味やらなにやらで(ほとんど趣味ですが)お金が必要な今日この頃。もちろんバイトをして、少ないですが好きに使えるお金を得ております。

友人なんかを見ているとガンガンシフトを入れて(入れられて?)稼いでいたりと、人それぞれだなぁと思ったり。


幸い自分の場合だと週に2~3日程度で済んでおり、バイトと自分の趣味である同人活動のバランスはかなりとれている方だと感じています。

稼ぎがもう少しあったらなぁ…と考えなくもないですが、週5レベル(ここまでくるとパート扱い?)になってしまうとさすがに心が乾いて死にそうになるので、やっぱり今くらいの塩梅がベストなんだろうな、と思っています。


ですが、時間があればそれでいいかと言われれば、実はそうではなかったり。


自分が原稿を進めようと思っているところに、いろいろな誘惑が襲いかかってくるのです。

それはゲームであったり、本であったり、お絵かきだったり、ネット、ギターなどなど…

もちろん一番にすべきなのは原稿なのですが、そうと知りつつもついつい誘惑に身をゆだねてしまって、気がつけばもう寝る時間!? 原稿進んでない…なんてこともしばしばです。


やはり人間、誘惑には弱いもので。やるべきことがあったとしても、ちょっと息抜きにとか、気分転換にとかもっともらしい言い訳をつけて遊んでしまう生き物なのですね。絶対に負けない鋼の意志があればいいんですがね…


いざ寝るとなって、布団の中で今日という日を振り返ってみると、原稿は進んでないし遊んでばっかりだし…「あぁ…最悪…(レ)」みたいに思ってしまわなくもないです…自分だけでしょうかね。

でもここで、「今日はゲームをやってリフレッシュできた、明日は原稿頑張ろう」と考えられたのなら、一日を後悔ではなくいい気持ちで終えられると思うのです。


もちろん原稿が進んでいないというのはよろしくないことです。それをやらなかった自分を責めたくもなります…ですが、数時間前の遊んでいた自分をいくら今の自分が悔やんだところで、結局時間は戻ってこない。

変わらない事実に悔やみ続ければ、だんだんと思考がマイナスの方向に進んでしまいます。マイナス思考はさまざまな負の影響をもたらすことでしょう。自己嫌悪に陥ってしまっては、好きなことも楽しめなくなってしまいます。


だからこそ、どんな些細なことであっても自己肯定をすることこそが、日々を幸せに生きていくためには必要なのだと思います。

たくさんあったはずの時間を無駄に使ってしまったと思いつつも、その使った時間の間は自分は楽しいと感じていたはずです。楽しいと感じていなければ、原稿をやるという義務感をすっぽかして遊んでなんていられないからです。

じゃあ今日は楽しい時間を過ごせたのだからいいじゃないか、とプラスの方向に持っていく。今日という日を楽しく締めくくることができたのなら、次は明日。明日は原稿をやろう。遊んでしまうから、まずはデータを立ち上げることだけでもやろう。資料のノートを開くだけでもいい。原稿に誤字脱字がないかだけでもいいから確認しよう…などなど。


ワークライフバランスがとれているから人は幸せか、と言われればそうではないと思います。無限の価値がある有限の時間をいかに使ったか、という点がうまくいけば幸せを感じられるのではないでしょうか。

限られた時間でなにかを成しえたとき…例えば次の授業の宿題を、直前の休み時間に必死こいて解き終わったとき。なんともいえない達成感があるように思います。当たっているか外れているかは問題ではなく、「宿題を終えた」という事実に達成感、幸せの類似品のようなものを感じるのです。

だからこそその時間を「有意義に使った」と思うことが必要なのだと思います。それは思い込みでも虚勢でも構わない。「よかった」という思考をすることがやはり大切で、プラス思考こそが日々の生活に潤いをもたらしてくれるものだと私は考えます。




(編集後記)

「正の連鎖」というちゃんとした言葉はありませんが(あるとすれば「幸せスパイラル」だろうか)、「負の連鎖」という言葉はしかと存在しています。

マイナスが積み重なってしまうと、なかなかそこから脱出するのは容易ではありません。しかも脱出してもゼロに戻るだけですからね。

微量でもいい。小数点以下でもいい。常に正の方向に進んでいけば、きっと日々は幸せで満ちていくのでしょう。幸せスパイラル!



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